【2021年10月5日追記】
こんにちは。
FTC株式会社の古田です。
本日は私たちが展開する事業『質屋』の歴史について語っていこうと思います。
日本では旧くは鎌倉時代より800年続く歴史のある商売『質屋』ですが、なんと世界では、それよりもっと昔から質屋は存在していました。
実は人類最古の金融機関の一つなんです!
知れば知るほど深い、質屋の世界。
今回は世界に目を向けて、質屋の歴史を見ていきましょう。
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日本での質屋の始まり
鎌倉時代に質屋の原型が登場
質屋の原型は鎌倉時代に登場した『戸倉』であると言われています。
鎌倉時代初期の歌人・藤原定家の日記にその名前が登場し、その内容によるとかつては酒屋が兼業として行っているものが主だったようです。
ちなみにまだこの時代には政府が発行する貨幣は存在しておらず、当時の中国から大量に入ってきた『宋銭』や物々交換が主流でした。
現代では消費者金融や銀行などお金を借りる手段は様々ありますが、当時はこの戸倉しかなかったそうです。
武士や庶民からの利用が多かったそうですが、その経済面は不安定で、苦しい状態になることも多かったと言われています。
その要因は
〇庶民からの反感を買い、襲われることがあった
〇政府からの徳政令により経営難に陥ることがあった
事が挙げられます。
先も言った通り、主だった利用者は武士や庶民でしたが、財産が集まるので武士や庶民から反感を買うことがありました。
要は「なんで俺は困っているのに、お前のところにはそんなにものがあるんだ!」という妬みですね。
その結果質蔵の打ちこわしなどもあったそうで、店を存続させるのは経済状況以外でも大変な情勢でした。
江戸時代-質屋の基本形が完成-
それから時代は進み、時は江戸時代になってようやく戸倉が定着し、数も一気に増えることになります。
この頃に戸倉という名前が『質屋』に改められました。
質屋という名前が使われ始めたのは江戸時代からだったんですね。
そして質屋の数が一気に増え始めたのは第八代将軍徳川吉宗の時代です。
第五代将軍徳川綱吉の時代に高度経済成長によって経済が上向きになり、いわゆるバブルを迎えますが、徳川吉宗の「享保の改革」が行われ質素倹約の時代となり、買い控えが起こり不況の時代がやってきます。
そしてこの不況の時に質屋の数が一気に増えました。
不況のきっかけは違っても、買い控えがあり、不況になったのは現在のコロナ禍と似ていますね。
やはり昔も不況の時代には質屋が活躍したようです。
明治時代-金融業の分業化-
金融業は明治時代に入ると分業化が進みました。
大きく分けると銀行と質屋ですが、銀行は現在のような事業融資中心に、質屋は質草を預かって小口融資を専門にすることになっていき、それが現代まで続いています。
しかし質屋で預かる商材は変化しており、かつては変質しにくいもの、例えば衣類、鍬などの農具、キセルなどの嗜好品、時代が進めば家電などが主だって取り扱われているものでしたが、現代ではブランド品、小型家電、貴金属など小さく単価が高いものが預けられることが多くなっています。
質屋の起源は古代中国
さて、ではそんな質屋・戸倉がいつ頃生まれたのか、興が乗ったので調べてみました。
質屋の発生は、3000年前(!)の古代中国まで遡ります。
正確には「質屋」というお店の誕生ではなく、「質預かり」が行われるようになった時代です。
初めは、僧伽が貧しい農民の資金不足を短期的に補うために、担保として物品を預り、お金を貸し出すようになったことが始まりとされています。
質屋の産まれがお寺なのはちょっと意外ですよね。
文字通り、お金に困った市民の「駆け込み寺」が質屋の起源でした。
(ちなみに、「駆け込み寺」は日本語ですが質屋とは関係ありません。詳しくは『縁切寺』で検索してみください!)
そういうわけで、初期の質屋はお寺の僧によって運営されていました。
初めは、それぞれが独立し金銭のやり取りをしていたようですが、
やがて裕福な信徒と結びつき、ビジネスとして確立、人口の増加に合わせて質屋は増加していきました。
質屋創設を支援する「局」と呼ばれる専門機関が存在していたりもしたそうです。
初期の中国の質屋の様子 |
中国三千年の歴史…その一端に質屋の姿もあったんですね。
古代ギリシャ・ローマでも質屋が繁栄
古代ギリシャ・ローマでも質預かりは一般的に行われていました。
紀元前27年、ローマ帝国を起こした初代皇帝アウグストゥスは公営の質屋を各地に設立。
犯罪者から没収した財産を基金に変換し、
生活の厳しい市民に、担保の1/2の金額を無利子で貸し出していました。
ヨーロッパでも貧しい市民を助けるために、組織的に質屋が運営されていたんですね。
また、各地を廻る行商人も多かったこの時代。
店を建てて一城の主となることは彼らの目標の一つでもありました。
そんな商人が店を構える最初の足掛け資金の調達先として、質屋はよく利用されていたようです。
犯罪者から没収したお金は、貧しい市民を救うために利用されました |
一時期はカトリック教会から締め付けがあったようです。
お金がお金を生み出すのが投資や利息ビジネスの良さですが、
働かずにお金を稼ぐことを禁じるキリスト教徒には看過できないものがあったのでしょう。
しかし、市民の生活を守る質屋はその必要性を認められ、次第に規制は緩和されていきました。
質屋のすごいところは宗教の壁を越えたところ。
ユダヤ教徒が営む質屋でも、担保さえあればキリスト教徒が利用することができましたし、
もちろんその逆も可能でした。宗派による差別はそこには存在しません。
宗教に寛容な日本人には馴染みの薄い感覚かもしれませんが、これはとてもすごいことだったようです!
教会も認める質屋の重要性には驚きです!
今も昔も、庶民に寄り添った質屋
質屋は市民の経済的危機を救うために生まれたことがわかりましたね。
老若男女問わず、モノさえあればお金を借りることができる質屋は必須の存在だったのでしょう。
それは海外の質屋の名前の由来にも現れているんです。
欧米で質屋は『Pawnbrokers(ポーンブローカーズ)』『Pawn shop(ポーンショップ)』と呼ばれています。
質屋の目印、吊り下げられた3つの金色の玉のモチーフが世界中で使われています |
このモチーフの起源は、貸金業で有名なメディチ家が使った石袋など諸説あるようです。詳しくはまた別の機会に…
この『Pawn(質入れ・質草)』は、ラテン語の『patinum』に由来し、衣や衣服を意味します。
※誓約を意味する『pignus』フランス語の『Pan』ブラウス・スカート を語源とするなど諸説あり
労働階級の市民にとって、衣服は持ち物のなかでも高価なものでした。
労働者は月曜に衣服を質屋に預け生活費を工面し、金曜日の給料日に元金を支払って衣服を取り戻したのでした。
この習慣は『Pay Day(給料日)』と呼ばれ、それだけ市民の生活に質屋が根付いていたのが分かりますね。
『Pop goes the Weasel』 "Half a pound of tuppenny rice," 半パウンドのお米 半パウンドの蜂蜜 これがお金の使い道 コートを質に入れてね! |
当時の童謡にも質屋と庶民の関わりが歌われていました |
慈善事業として質屋は各地に拡がり、社会の縁側としての役割を担いました。
1872年イギリスの質屋法では、利息の上限、盗難品の扱い方などが定められ、現代の質屋に近いかたちが出来上がったようです。
もっとも、質屋の利用者は庶民だけに留まりません。
イギリスのエドワード3世はフランスとの戦費捻出のため宝石を質入れしたそうですし、
スペインのイザベラ女王はコロンブスの航海費を用意するために、彼女もまた自前の宝石を担保に質屋からお金を借りていました。
教皇レオ10世は豪奢な暮らしで有名で、その生活の維持のためにしばしば質屋に訪れたのでした。
あのコロンブスも、質屋がなければ「新大陸」には到達できませんでした |
王族や教皇の財布も質屋は救ってきたんですね!
まとめ
いかがでしたか?
市民と質屋の結びつきの強さに驚かれた方も多いのではないでしょうか?
かつて質屋はもっと身近な存在で、市民の生活に根付いていたものでした。
時が経った現代でもそれは変わらず、今も昔も質屋は庶民の味方で、地域のセーフティネットです。
コロナによって不景気が拡大している今、当店を利用して頂けるお客様も増えています。
「不景気に強いビジネス」それが質屋です。
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