ブレゲの買取について|質屋かんてい局つくば店
こんにちは、かんてい局つくば店です。
今回は時計の高級ブランドであるブレゲについてお話していきます。
このブランドを語る中で重要になってくる人物は、ブランドの名前にもなっておりますアブラアム=ルイ・ブレゲです。
彼は時計製作の天才であり、この人が時計の歴史を200年早めたといわれております。
ブレゲがたどった歴史とブレゲの代表的な時計の紹介も同時に行っていきます。
また、かんてい局つくば店では、ブレゲの時計の買取も積極的に行っております。
買取をしてもらおうか悩んでいるお客様がいらっしゃれば、是非かんてい局つくば店まで足をお運びくださいませ。
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ブレゲの歴史
1747年1月、後に「時計の歴史を200年早めた天才」と評されることになるブレゲは、スイスのニューショテルという場所で誕生しました。
15歳になるとスイスから旅立ち、パリのヴェルサイユの時計職人の門をたたきました。
当時のフランスでは、時計は貴族のものであると考えられており、17世紀以降ずっと続いていた伝統でした。
もちろんブレゲもその伝統に従っていくわけですが、ブレゲが他の人と違っていた点は、自分の卓越した技術をこの流れに組み込んだ点にあります。
1775年にブレゲは独立をして自分の店を開きました。
このときがブレゲというブランドが創業された瞬間でもありました。そこからブレゲが一番最初に着手した仕事は、自動巻き機構の改良でした。
自動巻き機構自体は、この時すでにスイスの時計職人であるベルレによって発明されていましたが、実際に使用するにはまだまだ改良が必要なものでありました。それをブレゲは改良を試み、実用化に成功いたしました。
このことが王侯貴族の間で広まり、ブレゲの名前が有名になっていくのでした。
そんなブレゲが、自分の生涯の中で一番情熱を注いで行ったことは、1783年、ルイ16世の王妃であるマリー・アントワネットから注文していただいた懐中時計の製作でありました。
王妃からの注文は「金額や製作時間の制約は一切無し、出来上がった時計はあらゆる機構を持つもっとも優れた、かつもっとも美しく無ければならない」という王妃ならではの無茶な注文ではありましたが、時計師の血が騒いだのか、ブレゲは今まで受けていた仕事を全部中断して時計製作に没頭していきます。
しかし、1789年にバスティーユ監獄襲撃事件に端を欲するフランス革命が勃発し、王政が廃止になり王党派とみなされた多くの人が粛清を受けることとなってしまいました。ブレゲもまたその中の一人ではないかと疑われ、やむなく1793年に生まれ故郷のスイスへの帰国を余儀なくされました。
スイスでの生活は2年間ほどでしたが、その間にパリの自分の店舗は没収されてしまい失意のどん底にいたことでしょう。しかし、生地であるスイスの空気がブレゲの時計職人としての情熱にまた火をともしたのです。
その証拠として、この2年間の間にブレゲはトゥールビヨン機構、永久カレンダー機構、レバー式シリンダー脱新機機構、引き打ち機構など、時計学を発達させる素晴らしい数多くの発明を誕生させるに至りました。
それだけでなくブレゲは機構以外の部分、すなわち意匠も必要であると考え、ギョーシェ彫りやブレゲ針、ブレゲ文字、コインエッジ装飾、シークレットサインなどの発明も行っております。
時計は内側だけでなく外側もきれいでないといけない、というブレゲの信念が伝わってくる話ですね。
スイスで2年間過ごした後、1975年にブレゲは再びパリに向かいました。そしてスイスでの2年間で発明した様々な発明が実を結んで再びお店が軌道に乗ったのでした。
ブレゲはその後も活動を続けましたが、1823年に帰らぬ人となりました。ブレゲの死後は、ブレゲ社は子のアントワーヌ=ルイ・ブレゲ、孫のルイ=クレマン・ブレゲが継ぐことになりました。
しかし、孫のルイ=クレマンが電気通信で成功したため、1870年にイギリスの時計師のエドワード・ブラウンに売却をしてしまいます。
ブラウン家は3代にわたり運営をしておりましたが、1970年にフランスの宝石商のショーメがブレゲ社の商標を買取り、時計師ダニエル・ロードの尽力もありブレゲ社は本格的に復興いたしました。
その後、いろいろな会社に買収をされ、現在はスウォッチグループの一つとなっております。
その後も順調に業績を回復し、高級時計ブランドとして復活を遂げました。スウォッチグループの会長の息子であるニック・ハイエック・ジュニアが社長をしており、初代ブレゲが手掛けた複雑時計の再現や新技術の開発に力を注いでいます。
ブレゲがマリー・アントワネットから依頼された、後にブレゲNo160と名づけられる時計の製作は続けられていましたが、頼んだアントワネットはフランス革命のときに処刑されてしまい、製作者であるブレゲも完成した際には亡くなっており、ブレゲの弟子が引き継いだ形となりました。
1783年に注文されてから実に44年の歳月が流れており、マリー・アントワネットの処刑から34年、製作者であるブレゲが亡くなって4年がたっていました。つまり、依頼人と依頼された人が実物を見ることなく完成に至った時計となったのです。
以上、簡単ではありますがブレゲの歴史となります。フランス革命の激動の時代とともにブレゲはあったんですね。
続きまして、ブレゲが発明した機構の中で有名なものをご紹介したいと思います。
・トゥールピヨン
この機構はブレゲの代名詞のように語られているくらいインパクトが強い機構になります。
トゥールピヨンはフランス語で「渦」という意味を持ち、一言でいうと「重力分散装置」です。
地球の重力が時計の精度に影響を与えることをブレゲは知っており、影響を最小限に抑える機構を開発することでぎりぎりまで精度を高めようとして生まれたのがトゥールピヨンです。
具体的には「キャリッジ」というカゴの中に歯車を一定の速度で回転させる機構を収納し、この「キャリッジ」を回転させることで時計にかかる重力を最小限まで抑えることを可能とした機構です。
・ミニッツリピーター
暗闇でも時刻が分かるように音を出すための機構です。
同じような機構は以前から存在していましたが、ブレゲはゴング式という新しい機構を発明しました。
それまではハンマーがケースをたたくノック式が使われていましたが、ゴング式により薄く、澄んだ響きを作り出せるようになりました。
この方式が出来たことにより、当時の大半の時計師が採用することにしたそうです。
・パーペチュアルカレンダー
パーペチュアルカレンダーとは永久カレンダーともいわれております。
従来のカレンダーは31日の月と30日の月、2月の日数の差を認識することができないため手動で日付を直すのが一般的ですが、パーペチュアルカレンダー機構があれば自動的に補正を行ってくれるのです。
口で言うのは簡単ですが、うるう年まで考えないといけませんのでものすごく複雑な機構になります。
さすが時計の歴史を200年早めた男といえます。
最後に、今のブレゲの時計を紹介致します。気に入っていただければ幸いです。
・ブレゲ クラシック
かんてい局つくば店 買取金額 ¥700,000-
※2020年4月日現在になります。市場の相場等で変動する場合がございます。
このモデルは創業者である初代ブレゲが考えていた「理想の時計」を忠実に再現した古典的なモデルです。
見やすく正確なメカニズムをしており、ラインナップも手巻き・自動巻きの超薄型時計から複雑時計まで充実しています。
ブレゲ愛好家に非常に愛されている時計です。
・ブレゲ マリーン
かんてい局つくば店 買取金額 ¥650,000-
※2020年4月日現在になります。市場の相場等で変動する場合がございます。
フランス海軍のクロノメーターからヒントを得て作られた時計になります。
頑丈な設計のケース、プロテクター付きのリューズ、美しいデザインと現在のトレンドに沿って作られた人気モデルです。
・ブレゲ トランスアトランティック
かんてい局つくば店 買取金額 ¥300,000-
※2020年4月日現在になります。市場の相場等で変動する場合がございます。
このモデルは海軍の航空パイロットの為に作られたモデルにデイト機能を追加した実用的なモデルになります。2005年から一般販売されました。
いかがでしょうか?
時計作りの天才として名高いブレゲ、及びそのブランドの歴史と彼が発明した機構、そして今発売されているモデルの紹介をさせていただきましたが、ブレゲの高級時計の魅力や歴史を少しでも伝えることが出来れば幸いです。
そして、かんてい局つくば店では、そんな魅力あふれるブレゲの時計を喜んで買取させていただいております!
ブレゲの時計を買取してもらうか悩んでいるお客様がいらっしゃいましたら、是非かんてい局つくば店まで足をお運びして下さい!
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