ジャガールクルトの買取について|質屋かんてい局つくば店
こんにちは、かんてい局つくば店です。
本日は、ジャガールクルトの歴史や発表してきた時計について
ご紹介していきたいと思います。
「ジャガールクルトは技術屋である」というイメージがありますが、どのような歴史をたどってきたらそのような評価が生まれたのか見ていきます。
かんてい局つくば店では、時計の技術が詰まっているジャガールクルトの時計を買取強化中です!
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ジャガールクルトの歴史
ジャガールクルトの長い歴史がはじまったのは、1833年に創業者であるアントワーヌ・ルクルトが、スイス国境沿いのジュラ山脈にアトリエを立ち上げたところからでした。
元々時計部品を製造する機械を作り出せるようになったことでアトリエを始めていたため、技術力があったと言えます。
1844年には世界で初めてミクロン単位で測定が可能となる、当時の最先端の測定器「ミリオノメーター」を発明しました。このミリオノメーターにより、精巧な時計部品の製造が可能になりました。また、1847年には巻上げと時計のセッティングに鍵を必要としないシステムを開発し、より簡単な機構を作り上げました。企業としても、ロンドン万国博覧会でタイムピースの実績が評価され金賞を受賞しました。
1858年にアントワーヌの息子であるエリー・ルクルトが後を継ぎ、1866年に様々な時計製造の技術士をジュワ渓谷に集め、現在まで続くマニュファクチュール、LeCoultre&Cieを作り上げました。
先に挙げたミリオノメーターの力と相成って高い生産システムを構築したことにより、以後1900年までに約350種類以上のムーブメントを作り上げました。その内128種類はクロノグラフ機能、99種類はリピーター機能を搭載した複雑な機構を有しているものでした。
このような流れで順調に会社の規模が拡大していき、1888年には従業員が500人ほどになり、「ジュワ渓谷のグランド・メゾン」と呼ばれるようになりました。
また、1902年から約30年に渡り、世界最高峰メーカーであるパテック・フィリップのムーブメントの大半を製造したり、オーデマ・ピゲやバシュロン・コンスタンタンなどへもムーブメントの供給を行ったりしており、「技術屋」としての信頼はこのころから確固たるものになっておりました。
1903年に入ると、一つの転機が訪れます。アントワーヌ・ルクルトの孫であるジャック=ダヴィド・ルクルトが、フランス海軍向けの時計製造を行っていたエドモンド・ジャガーから、自分が発明した超薄型キャリバーを開発・製造の依頼を受けたことがそれに当たります。
ジャックは時計職人として天才であったので、1907年にはルクルト製キャリバー145を搭載した世界で最薄型懐中時計を製作いたしました。
同じ年にジャガーは、顧客であったフランスの宝石商であるカルティエと、今後15年間すべてのジャガーのムーブメントをカルティエ専用にするという専属契約を結びましたが、このムーブメントはルクルトによって製造されたものでした。
1929年には世界最小の機械式ムーブメント、キャリバー101を発表しました。このムーブメントは74個の部品で構成され、1グラムしか重さがないのだとか。
そして、1931年にはジャガールクルトの中でも非常に人気のある時計で、現在でも生産が続いている「レベルソ」を発表しました。こちらの時計の特徴は、なんといってもケースを裏返しにできる点にあります。当時はサファイアガラスがない時代であり、馬と人間がぶつかり合うポロという競技で風防を守るために考案されました。
そして、ジャガーとルクルトは互いに協力関係を築いていき、1937年にジャガー・ルクルトブランドが正式に誕生いたしました。ただ、北米ではルクルトの名前で腕時計が1932年から1985年頃まで販売されていて、そのあとにジャガー・ルクルトの名前に統一されました。
これにあたって、一部のコレクターやディーラーの中には、アメリカのルクルトとスイスのジャガー・ルクルトは無関係であるという主張がありましたが、これはルクルトの腕時計をアメリカで販売していたグループが、ヴァシュロン・コンスタンタンの販売も請け負っていたのですが、コレクターが流通ルートと時計メーカーを混同したことが原因と言われています。
その後、ルクルトの商標は1985年に終了し、ジャガー・ルクルトの商標に替わりました。
以上、簡単ではございますが、ジャガールクルトの歴史について語らせていただきました。
ジャガールクルトの時計の種類
続きまして、ジャガールクルトの代表的な時計の紹介をさせていただきます。
・レベルソ
かんてい局つくば店 買取金額 ¥650,000-
※2020年5月11日現在の金額になります。市場の上下等で金額が変動致します。
上記でもご案内しましたが、ラテン語で「回転する」という意味を持つ、名前の通りケースが反転し時計のガラスを保護が出来る、ジャガールクルトを代表する時計となっております。インドに駐屯していたイギリス人の将校から、ポロの試合中の激しい衝撃にも耐えられる腕時計の開発をしてほしい、という難しい課題を頼まれて設計したのがこのモデルです。人気は非常に高く、今でも生産がされているモデルになります。
・デュオプラン
1925年当時、小さな腕時計の流行はしていたが、小型のキャリバーは信頼性に欠けるものが多かった。そのため、アンリ・ロダネという人物がルクルト製キャリバー7BFデュオプランを発表しました。この名前の通り二重構造にすることで大型のままでテンプを維持できるようにしております。
また、初めてステンレススチールにジェムセッティングを付けた腕時計の一つで、1929年に初めてガラスの代わりとしてサファイアクリスタルを採用しました。当時としては珍しく特別なアフターサービスが保証されており、ムーブメントがダメージを受けた時に数分で交換可能することが可能でした。
・ジュワイアリー101
上記でも書きましたが、1929年に世界最小の機械式ムーブメントであるキャリバー101が発表され、1930年代にはこのキャリバーを搭載したジュワイアリー101・エトリエが発表されました。この時計はブレスレットの様になっていますが、小さな時計が組み込んであり、宝飾時計にふさわしい形をしております。1953年にはエリザベス2世が戴冠式で着用しました。
・アトモス
こちらは置き時計となりますが、特筆すべきなのは人の介入をほぼ必要としないで半永久的に動き続けられる点です。部屋の温度が1度上がるだけで、2日間動くためのエネルギーを得ることが出来るのだとか。スイスのエンジニア、ジャン・レオン・ルターが1928年に発明したアトモスをジャガー・ルクルトが1936年、1937年それぞれで特許を購入し、10年かけ完璧に仕上げ、1946年に現在の技術形式で製造を開始しました。
・メモボックス
かんてい局つくば店 買取金額 ¥55,000--
※2020年5月11日現在の金額になります。市場の上下等で金額が変動致します。
1950年から発表されたモデルで、その特徴は指定された時間に音を鳴らすストライキング機構です。それにより目覚ましや待ち合わせ、時刻表にも使うことが出来ました
その後、1956年にはジャガー・ルクルト製キャリバー815を搭載したメモボックスが発表され、これが世界初のアラーム付き自動巻腕時計となりました。
その後、ダイバーに浮上を知らせるアラームを搭載したメモボックス・ディープシー、1965年には水中での音の伝達を最適化するための機構を備えたメモボックス・ポラリスを発表しました。
・マスター
かんてい局つくば店 買取金額 ¥800,000-
※2020年5月11日現在の金額になります。市場の上下等で金額が変動致します。
今現在、ジャガー・ルクルト製タイムピースには1000時間コントロールテストが実施されています。
このテストは1992年に信頼性と精度を向上させる目的で、1000時間以上に及ぶ6つの検査を完成した時計に受けさせています。
その検査を受けた時計で1992年から続く伝統的なシリーズがマスターとなります。
以上で、ジャガールクルトが出している時計の紹介を終わります。
いかがでしょうか?
ここまで、モノづくりに長け、「技術屋」のイメージを持つジャガー・ルクルトがどのように生まれ、どのような軌跡をたどってきたのかを少しでも知っていただければ幸いです。
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