カシオの買取について|かんてい局つくば店
こんにちわ、かんてい局つくば店です。
今回は日本の時計メーカーの代表格ともいえるカシオについてお話していきたいと思います。
日本を代表するまでになったカシオの歴史やG-SHOCKに代表されるカシオの時計の魅力について少しでも伝えられたら幸いです。
かんてい局つくば店では、G-SHOCKをはじめとするカシオの時計の買取をただいま強化しております!!
その堅牢性から色々な場面で使用できるG-SHOCKだけでなく、女性向けのBABY-Gももちろん買取をしております!
G-SHOCKの買換えにお悩みの方がもしいらっしゃれば、是非ご来店下さい!
頑張って買取査定させていただきます!!
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カシオの歴史
創業
カシオの創業メンバーである樫尾忠雄は、1917年に高知県に生まれました。1923年の関東大震災の後、おじに誘われ樫尾一家は上京し、高校を卒業した後は見習いの施盤工として働き始めました。そこで腕の良さを工場主から見込まれ、働きながら現在の早稲田大学である早稲田工手学校で技術の習得をし、様々な職場を経験しました。その後評判が広まって部品加工の下請けを頼まれるようになり、1946年4月に東京都三鷹市に「樫尾製作所」を設立し独立をしました。
樫尾製作所は、最初は顕微鏡の部品や歯車を扱う小さな下請けの工場でした。樫尾忠雄は3人の弟がいましたが、そのうちの一人である俊雄が色々な発明品を生み出し兄を助けようとしました。
そのうちの一つに指輪パイプというものがあり、この時代に合ったお品物だったため大ヒットしました。ここでの利益が、後の計算機開発の資金となっていきます。
この後、1949年に東京・銀座で開催されたビジネスショウで外国製の計算機を見て刺激を受け、1954年に日本初の電気式計算機を完成させますが、機能面から時代遅れと評価されてしまい再度開発を進めます。しかし、完成し量産まであと一歩のところで俊雄の意見で最初から開発をやり直すことになりました。これが功を奏し、1957年6月に世界初の小型純電気式計算機である「14-A」の開発に成功しました。これまでの計算機は歯車を使用していたため、一回の計算にかかる時間は平均して10秒ほどで、歯車を高速回転させるため騒音も発生しておりました。それに対し新しく開発した計算機では歯車を使用していないため騒音が発生することが無く、計算にかかる時間も5~6秒と約半分に減らすことが出来ました。大きさもオフィスに置くことのできる机サイズとすることに成功いたしました。この「14-A」が完成し株式会社内田洋行と販売契約が結ばれると、計算機の開発・製造会社として1957年にカシオ計算機株式会社が設立されました。当時は、樫尾計算機株式会社としていましたが、カシオというブランドの浸透に合わせて、1960年10月にカシオ計算機株式会社に改めました。
計算機から時計へ
その後、カシオ計算機では会社の名前の通り様々な計算機を世に送り出し、計算機のジャンルの中では突出したメーカーとなってまいりました。1972年には世界初のパーソナル電卓である「カシオミニ」という商品を送り出しました。当時の電卓のヒット商品は年間10万台前後でありましたが、このカシオミニは発売から10ヶ月で約100万台を販売する1大ヒット商品となりました。また、1家に1台を実現したカシオミニのヒットは、電卓市場の拡大や半導体関連の発展にも寄与しました。余談ですが、1983年にカシオが発売した世界最薄の電卓「SL-800」を発売しましたが、クレジットカード型の電卓は電卓のパーソナル化や薄型化の技術的な終着点としてニューヨーク近代美術館の永久所蔵品として納められており、上記のカシオミニと同様に重要科学技術史資料(未来技術遺産)にも選ばれています。
このように電卓市場でトップの座を不動のものにしたカシオが、新規事業として時計業界への進出を決定します。当時は丁度機械式時計からクォーツ式へと切り替わる技術変革期でした。クォーツ式でもデジタル時計は、カシオが今まで電卓の開発で培ってきたLSI技術を最大限生かせる製品だと考えたからです。1974年11月、カシオ初の腕時計である「カシオトロン QW02」が発売されました。QW02は完全自動腕時計のという開発思想のもとに時・分・秒の表示はもちろん、大の月・小の月を自動的に判別する世界初のオートカレンダーを搭載していました。その後、閏年の2月29日まで自動判別を可能にしたフルオートカレンダーの時計も開発され、1976年には時計機能に加え、ストップウォッチ機能や世界時計機能を搭載した「X1」を発売いたしました。この後もカシオは多機能デジタルウォッチの開発に力を入れていくのです。
G-SHOCKの登場
G-SHOCKが登場する前は、腕時計と言えば操作に慎重さが求められる精密機器でした。実際にG-SHOCKが開発されるきっかけとなったのは、伊部菊雄という方が腕時計を落として壊してしまったことだったそうです。1981年に伊部菊雄、増田裕一。二階堂隆の3人が中心となって落としても壊れない「常識を覆す腕時計の開発」が始まりました。建物3階からの落下実験等、様々な失敗と試行錯誤の上に、1983年4月に「DW-5000C」がG-SHOCKとして初めて発売されました。そしてG-SHOCKはアメリカ合衆国にも輸出されるようになりましたが、この時に使用された
CMのキャッチコピー、「アイスホッケーのパック代わりにしても壊れない」が誇大広告ではないのか?という意見が寄せられ、テレビ番組で検証されることとなりました。
その番組での検証の結果、ナショナルホッケーリーグのプロホッケー選手のシュートを受けても機能を喪失しないことが証明されました。この検証がきっかけとなりアメリカ合衆国で人気が出ました。この検証番組ではトラックで踏みつぶしたらどうなるかまで実験をしましたが、それでもG-SHOCKが壊れなかったとの事なので、当時としては非常にショッキングであったことが想像できます。
日本ではなく先にアメリカで人気が出たG-SHOCKですが、日本では1994年に公開された映画「スピード」で主人公がG-SHOCKを着用していたことから人気が高まりました。
その最大の特徴である堅牢性により、過酷な現場に出勤する消防士などから評価されたほか、スケートボードなどを楽しむ若者まで安心して腕時計を利用できるようになったことも様々な方に使われるようになった要因かと思います。
1990年代半ばには、ファッション的に若者から支持されていたG-SHOCKの利用場面を広げるために、大人に向けたフルメタル仕様のG-SHOCKを開発しました。G-SHOCKの魅力であるタフであることにこだわりながら、素材や構造など常に進化させることを続けているのです。
2017年8月にはG-SHOCKシリーズが世界累計出荷数1億個を突破し、カシオ計算機にとっては全体の売上高の30%を占めています。今では文字通りカシオを支えている時計となっております。
ここまで、ざっくりとカシオ、そしてG-SHOCKの歴史についてお話ししてまいりましたがいかがでしょうか?今では知らない人がいないくらいの大企業となったカシオの歴史は、正に発明品を生み出し続けてきたのだなという事がお分かりしていただけたかと思います。
そんな魅力あふれるG-SHOCKを買取強化しております。
今まで使用していたG-SHOCKも、以前から持っていたけどもう使わなかくなったG-SHOCKも、例え動いていないG-SHOCKでも喜んでお買取させていただきます。
買換えでお悩みのお客様がいらっしゃれば是非、かんてい局つくば店まで買取のご相談にいらっしゃってください!!
それでは、ここからはG-SHOCKのお買取について紹介したいと思います。
実際の写真も載せますので、是非参考にしていただきたいと思います。
①G-SHOCK GWN-100B-1JF
こちらのモデルは、過酷な海の上で使用することを想定されたG-SHOCKとなります。
クルーやレンジャーたちが必要な情報を素早くかつ確実に表示することを目的としています。
(2020年02月10日現在 かんてい局つくば店 買取価格 ¥20,000- )
②G-SHOCK GW-9301K
こちらのモデルは、絶滅の危惧にある生態系等の研究を支援している「EARTHWATCH」をサポートしております。
G-SHOCKは90年代前半からこういったコラボを行い、売り上げの一部を寄付しております。
(2020年02月10日現在 かんてい局つくば店 買取価格 ¥40,000- )
③G-SHOCK MTG-B1000
新構造のメタル外装を採用したボディにスマートフォンリンク機能やソーラーを搭載した革新的なモデルです。
(2020年02月10日現在 かんてい局つくば店 買取価格 ¥80,000- )
以上、かんてい局つくば店で買取させていただいたG-SHOCKの紹介となります。参考にしていただければ幸いです。
いかがだったでしょうか?
ここまでカシオの歴史、G-SHOCKの誕生の経緯、G-SHOCKの紹介をしてまいりましたが、少しでも印象に残っていただければ幸いです。
ここで紹介したG-SHOCK以外にも展示しているものはたくさんございます!
もちろん買取も強化中です!!頑張って買取査定させていただきます!!
G-SHOCKを買取してほしいお客様、G-SHOCKが欲しいと思っていらっしゃるお客様、どちらのお客様もかんてい局つくば店は大歓迎いたします!
買取や質預のご相談も喜んでさせていただきます!!
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