店舗名 | かんてい局つくば店 |
ブランド名 | 九谷焼 |
商品名 |
徳田八十吉 花器 |
買取金額 |
120,000円 |
更新日時 | 2020年6月7日 |
九谷焼 徳田八十吉 花器の買取について
九谷焼とは1655年ごろに当時の加賀藩の命により有田で修業し技術を身につけた職人、後藤才治郎が九谷村で開窯したのが起源です。
その後わずか100年ほどで一度閉窯してしまいます。この頃焼かれたものを古九谷と呼んでいます。
九谷が閉窯してから日本の焼物と言えば伊万里焼になっていました。その後も瀬戸物などの流行なども受け再び加賀でも様々な焼物が作られるようになり1823年に古九谷窯跡地の隣に窯を起こし翌年に九谷焼は復活を果たします。
明治時代に入ると1873年のウィーン万博をきっかけにジャパンクタニとその名を一気に広め、国内外から高い評価を得るようになります。
当時の九谷庄三の手掛ける彩色金襴手は特に当時人気を博したお品物とされており、有名な柿右衛門や色鍋島、仁清などと並びその名は広く周知されました。
宮内庁などへの贈答品としても選ばれるようになり名実ともに九谷焼は日本を代表する焼物になったといわれております。
今回はそんな九谷焼の中でも特に人気の高い人間国宝となった三代目徳田八十吉の作品です。
三代目徳田八十吉の特徴
三代目徳田八十吉(本名、正彦)は最初から工芸家になりたかったわけではなく、遊ぶことが好きで社交ダンスやカラオケ、釣りなどを好み、若いころはダンスの先生などをしていたそうです。
24歳の時に工芸家になりそこからどんどんその才能を開花させて行きました。平成9年にはついに重要無形文化財彩釉磁器保有者として人間国宝に認定されます。
三代目徳田八十吉の代表作である耀彩はそれまで高く評価されてきた絵付けではなく、あえて色そのものにこだわった作品です。
元々九谷焼にあった九谷五色という赤、紺青、黄、緑、紫のうちガラス質にならない赤以外の四色を用いて鮮やかな色彩を作っていきます。
初代八十吉が家族や弟子にも明かさず、暗号を用いて残していた釉薬の調合を何度も試し焼きを繰り返し、解読することでこの四色から実に70色もの色彩を生み出せることを発見します。
それぞれの色と色の間のグラデーションには様々な色彩があり、他で類を見ない実に美しい色彩を表現できるようになりました。
こうして九谷の長い歴史に名を遺す彩釉という技術を確立することとなります。
更に絵付け後に1000℃以上の高温で焼き付けをすることでガラス化した釉の中に紺青を中心とする鮮やかなグラデーションと美しい色彩の輝きの世界を閉じ込めることに成功。これにより耀彩が誕生しました。
査定のポイント
このような工芸品や民芸品、又は骨董品は価格があってないようなものですが、変動する相場などから適正なお値段を導きだしていきます。
ある程度のクラスのお品物になってくると箱なども一緒にお持ちいただく方が高額査定に繋がります。
また、本体の保存状況によって割れやカケなどがあると著しくお値段が下がってしまいます。
長期保管によりカビやシミなどが出来てしまうこともありますので、収集されている方は高額査定に繋がる可能性がありますので保管場所などにも注意していただくことをおすすめいたします。
またこのようなお品物は基本的に実用するものではなくお品物そのものを楽しむものとなりますので、自宅の蔵などで発見された際はとりあえず使ってみる前に一度ご査定に出すことをおすすめいたします。
価値を知ってから使用するのか、保管するのか売却するのか決めて頂いた方がいいかもしれません。価値がよくわからずに花瓶にしていたものがもしかしたら数十万円の価値があるかもしれませんよ!
まずはなにはともあれ是非ぜひご査定させてください!
スタッフから最後に