店舗名 | かんてい局つくば店 |
ブランド名 | ニッカウヰスキー |
商品名 |
宮城峡 |
買取金額 |
38,000円 |
更新日時 |
2020年6月28日 |
ニッカウヰスキーの買取について
ニッカウヰスキーは竹鶴政孝によって創立された「大日本果汁株式会社」の「日果」のカタカナが現在のブランド名になっています。
彼は本格的なウィスキーを日本でつくるために、ウィスキー誕生の地であるスコットランドに行き、その製造技術を日本に持ち帰りました。
よりスコットランドに近い気候でウィスキー作りを行うため、北海道の余市で創業したのが始まりです。ウィスキーは製造から出荷まで数年を要するので、創業から数年は余市周辺の特産品であったリンゴを使ってリンゴジュース、リンゴワインなどを販売していたそうです。
初めてウィスキーの出荷ができたのは1940年のことでした。直後、ウィスキーは統制品となりましたが、将校への配給用の酒を製造するために優先的に原料の大麦が割り当てられていたため、事業が継続することができました。
終戦後は他社から低品質の三級ウィスキーが発売されていましたが、ニッカウヰスキーは品質にこだわっていたため低価格商品を販売しなかったため経営が徐々に傾いていきます。
その上、当時ニッカウヰスキーの大株主であった加賀正太郎が逝去したことで社内は騒然となりましたが、加賀は所有していたニッカウヰスキーの株式を、竹鶴の知人がいる朝日麦酒(現アサヒグループホールディングス)に売却していたため、ニッカウヰスキーは株主によって経営で大きな影響を受けることはありませんでした。
とはいっても経営は厳しく、問題はニッカの三級ウィスキーが他社製品よりも高く、売れ行きが良くなかったことです。
そこで、朝日麦酒から派遣されていた役員が品質を落とさずに売り上げを倍にするセールス活動を提案し、竹鶴を説得します。
実際にセールス活動を行った結果、新二級ウィスキーは1年で倍増し、ニッカの販売額も業界3位から2位に上がりました。
これを受けて他社でもセールス活動が活発になえり、ウィスキー販売競争が激化しました。当時の洋酒ブームも相まって、ニッカを含めた日本でのウィスキー消費量も増加しました。
現在ではニッカウヰスキーはアサヒビール株式会社の機能子会社で、北海道の余市、宮城県の仙台市に蒸留所を所有しています。
余市では原材料が大麦麦芽のモルトウィスキー、宮城峡では原材料がトウモロコシのモルトウィスキーとグレーンウィスキーを製造しています。
そんな苦悩のと成功の歴史を持つニッカのウイスキーはお買い取りでもその市場価値に成果が現れていると言っても過言ではありません。
今回ご紹介した宮城峡もまた、定価を大きく超える価格で売り買いされるお品物の一つです。
年数やボトルデザインの新旧などでお値段も大きく変わり、宮城峡も含め、終売になったウイスキーは市場価値が高騰し、投資の対象になることも多いです。
宮城峡 15年の特徴
宮城峡は平成元年に宮城峡蒸留所の操業20周年を記念して製造されたのが始まりでした。
今回紹介する宮城峡 15年を含めた10年、12年の三種はそれぞれの熟成年数を表しており、2003年から発売が開始されましたが、2015年に販売を停止しています。宮城峡は余市蒸留所の「余市」と並ぶニッカウヰスキーの高級ブランドのシングルモルトウィスキーとして知られ、日本を代表するウィスキーとして世界的に評価されています。
実際に宮城峡 15年はISC(インターナショナル・スピリッツ・チャレンジ)で銀賞を受賞しています。
香りはシェリーカスクの配合率の高さから10年、12年と比べてよりフローラルで芳醇です。
感触は柔らかく、それでいて深い味わいが特徴的です。宮城峡の特徴が色濃く出ている一品ですね。
査定のポイント
今回の宮城峡 15年に限らず、すべてのお酒の買取に言えることですが、まず大前提として未開封であることが重要です。
非常に良いお酒であったとしても、空いてしまっている場合は空瓶のお値段しかつける事が出来ません。それは開けたことによりお酒が外気に触れると、わずかであったとしてもお酒の本来の風味を大きく損ないかねないからです。
また、万が一の可能性として中身の入れ替えをされている場合も考えられますので、資産としてお考えであれば開封をしないよう、ふたの周りのフィルム等を破いたりしないようにすることをおすすめいたします。
また、箱等の付属品があれば是非お持ちください。箱の有無で査定金額に大きく影響する場合もございます。
高いお酒であればあるほど贈答品としてご購入される場合が多いので、箱をお持ちであれば忘れずに持ってきていただければ買取金額が上がることがあります。