店舗名 | かんてい局つくば店 |
ブランド名 | 不明 |
商品名 |
南部鉄器 |
買取金額 |
5,500円 |
更新日時 | 2020年6月14日 |
南部鉄器について
南部鉄器は岩手県の南部鉄器共同組合連合会の加盟業者によって作られる鉄器を指します。鉄瓶のイメージが強いですが、それ以外にも風鈴や楼台、鉄卵なども有名です。南部鉄器で作られた風鈴は、ガラス製のものと比べると響きが強く、音が少し低いのが特徴です。心を落ち着かせるような音色を持っています。
南部鉄器は歴史が古く、始まりは江戸時代になります。南部鉄器の成り立ちは大きく分けると、2つの種類に分けられます。岩手県が廃藩置県される以前、北側(盛岡市や花巻市を含むような地域)を南部藩、南側(水沢市や奥州市を含むような地域を伊達藩が治めていました。
南部藩では、盛岡城建設の際に副産物的にできた、鉄瓶が始まりとされています。城の瓦などの制作技術を応用して、丈夫な鉄瓶が作られたとされています。南部藩内で南部鉄器を作り始めたのが大きく分けると4家ありましたが、各々鉄器制作の生い立ちが異なるので、一概に盛岡城の建設と関連しているわけではないのですが、この頃に南部藩の鉄器が興隆してきたと考えられています。
一方伊達藩とりわけ水沢の鉄器は近江(滋賀県)の鋳造師を招聘したのが始まりです。ちなみに、この鋳造師を招聘したのが奥州藤原氏の初代頭首であった藤原清衡でした。伊達藩で作られた、鉄器は主に日用品で使われることを想定して作られ、清衡はそれらを大変気に入っており、鉄器生産が盛んにおこなわれました。奥州藤原氏の拠点で合った平泉の中尊寺には、たくさんの南部鉄器が埋蔵されています。
1959年までは、「南部鉄瓶商工業会」と「水沢鋳物工業会」に分かれていましたが、統一され、現在の「岩手県南部鉄器共同連合会」に名前を変えました。
南部鉄器の買取について
南部鉄器をそのまま日常生活で使う人はなかなかいないでしょう。南部鉄器は骨董品としての扱いが一般的です。ですので、著名な家元や作家の鉄器は高値になりやすいです。
例えば、作家ですと初代小泉仁左衛門の作品は初代だけあって、非常に高値で取引されています。また、初代のものでなくとも、2代目以降の小泉仁左衛門作のものでも高値が付いています。7代目や8代目の作品が知名度が高いのではないでしょうか。
また、家元ですと鉄瓶の名家である「龍文堂」や「亀文堂」の鉄瓶は高値で取引されています。古い物になりますと、数十万で取り引きされるものもあります。
全体的に歴史のある、古いものには高値が付きやすいですが、贋作や作者不明のものも多数あるので、査定は慎重に行う必要があります。
査定のポイント
まず、作られた作者とメーカーを始めに確認します。一見してメーカーが分かるもの、分からないものがありますが、メーカーが分かると上がる場合があります。ノーブランドになると、年代や作者などの情報が乏しくなり安値になってしまいます。箱や、証明書等があると査定がスムーズになりますので、是非合わせてもってきていただくと幸いです。
次に作品の状態を確認します。さびや汚れ等ないか確認します。鉄器ですので、同氏もても錆びやすい物です。その分、綺麗な状態のものは需要が高まりやすいです。また、大きな南部鉄器になりますと処分でかなり費用がかかる場合があります。破損が酷い場合や、状態が悪い場合には買取をお断りさせていただく場合もございます。予め、ご了承ください。
スタッフから最後に