ヴァシュロン・コンスタンタンは260年以上の歴史をもちオーデマ・ピゲ、パテック・フィリップと共に「世界三大時計ブランド」や
「雲上ブランド」と呼ばれています。
また、継続してビジネスを行っている時計メーカーとしては世界最古のメーカーとして知られています。
現在はリシュモングループの傘下ですが、現在もスイスのジュネーブとヴァレードジューに工房をもっています。
そんなヴァシュロン・コンスタンタンの歴史について、ざっくりと振り返ってみたいと思います。
前篇では創業から第二次大戦後までの歴史を解説いたします。
創業者 ジャン=マルク・ヴァシュロン(左)
共同経営者 フランソワ・コンスタンタン(中央)
時計技師 ジョルジュ=オーギュスト・レショー(右)
出典:http://www.gg-magazine.com/en/2016/03/geniestreich-der-haute-horlogerie/
18世紀 1755年に創業
現在から実に260年以上前の1755年9月17日、当時24歳だった時計職人の「ジャン=マルク・ヴァシュロン」氏が
見習いの職人と雇用契約を結びました。
この日がヴァシュロン氏が自身の技術を継承する意志を明確にした日であるとして、
ヴァシュロン・コンスタンタンの創業の日とされています。
同年にヴァシュロン氏が制作した懐中時計が残っており、銀製のケースに収められたムーブメントには
脱進機の周りに美麗なアラベスク彫刻が施されており、創業当時から高い美意識と技術を備えていた事が伺えます。
19世紀 ヴァシュロン&コンスタンタン
その後順調にブランドは成長し、1785年に息子のアブラハム氏、1810年からは孫のジャック・バルテルミー氏へと事業が
引き継がれました。
ジャック・バルテルミー氏はミニッツリピーター等の複雑時計の製作を得意としフランス、イタリアへと販路を拡大します。
1812年にヴァシュロン・コンスタンタン初のクオーターリピーターの開発に成功。
1819年にイタリアで別ブランドの販売のため訪れていた「フランソワ・コンスタンタン」氏と運命的な出会いをはたし、
彼を共同経営者に招き、社名を「ヴァシュロン&コンスタンタン」に変更します。
フランソワ・コンスタンタン氏は先見の明があり、すぐさま北米や南米にまで販路を拡大し、
同社を国際的なブランドに飛躍させました。
この際に特に米国との交易を強め、当時はまだ時計メーカーでは珍しかった宝飾品製作を推進しました。
1839年に発明家であり時計技師であった、「ジョルジュ=オーギュスト・レショー」氏を迎え、
レショー氏の発案の元、時計(エボーシュ)の量産に必要な多くの工作機械が発明され、
同社はスイスで最初の近代的な時計製造が出来るブランドとなります。
1845年に量産に成功したエボーシュと独自に開発した脱進機を社外の時計職人にも供給するようになります。
レショー氏はダイヤルや小さな部品に彫刻を施す機械を考案し、様々な部品を機械的に複製する装置
「パントグラフィー装置」を開発し時計業界に工業化の波を起こします。
これらの功績によりジュネーブ芸術協会から金メダルを授与され、ヴァシュロン・コンスタンタンの名声は
さらに高まったといわれています。
1854年にコンスタンタン氏が、1863年にジャック・バルテルミー氏が亡くなり、事業は甥の「ジャン=フランソワ」氏に
引き継がれます。
1860年代後半はコンスタンタン家とヴァシュロン家の誰かが管理するという状態で社名を3度も変更するなどの
混乱があったようです。
1875年にローヌ川の中州ケ・ド・リルに新社屋を建設、この建物は当時のまま、ブランドの遺産管理室として
現在も利用されています。
1880年に同社の象徴であるマルタ十字の意匠が採用され、1890年に特許を取得します。
マルタ十字はカトリックの修道騎士会であるマルタ騎士団が採用していたシンボルで
香箱に取り付けられていたカバーがマルタ十字に似ていた為に採用されたといわれています。
1885年にパラジウム、ゴールド、ブロンズを用いた耐磁性のある時計を発表します。
1887年に社名を正式に「ヴァシュロン&コンスタンタン」と定め、株式会社に再編しました
20世紀 世界恐慌と第二次世界大戦
1906年にジュネーブのケドライレに同社のブティックをオープンします。
現在も同地にブティックがあります。
1935年、ヴァシュロン・コンスタンタンはエジプト王ファルークよりいら依頼され、5年の歳月をかけて
同社で最も複雑な時計を製造します。
1936年、世界恐慌の只中でチャールズ・コンスタンタンが事業を継承します。
1940年ジャガールクルトファミリーに買収され、「ジョルジュ・ケッター」氏が取締役に就任します。
119年に及ぶ家族経営が終わり、グループ企業傘下のブランドとして再出発を果たします。
第二次大戦中もケッターしは高いリーダーシップを発揮し、経営に十分に収益を確保します。
1945年に終戦を記念してトゥールビヨンレギュレーターが背面の窓からも見える特別な懐中時計を製作します。
以上が創業から第二次大戦後までの大まかな歴史です。
次回は第二次大戦後から現代までの歴史を解説いたします。
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